鉄は、21世紀においてもなお先端技術の宝庫といわれますが、鉄産業の歴史上のそのおびただしい技術の集積は、世界でさまざまな文化の独自性を築いてきました。
日本の鉄の歴史は弥生時代に遡ります。中国山地、なかでも奥出雲は、日本古代の、砂鉄と木炭で鉄をつくった「たたら製鉄」の歴史とともにはじまっています。この地方には、いたるところに古代から近代にかけての「野だたら」や「永代たたら」の産業遺構が数多くみられ、出雲ほど鉄産業にかかわった人々が大勢生活してきた地方はないといわれます。
出雲には、製鉄を産業とする鉄山経営者を中心に、製鉄技術集団であるたたら師、原料となる砂鉄を採取した鉄穴師(かなじ)、燃料の木炭を焼いた山子、たたらでできた鋼や銑鉄を加工した大鍛冶や小鍛冶、そして鋳物師(いもじ)など、生産、流通、加工にいたるまでの多くの技術集団が古くから住みつき、この地方は、明治時代に近代製鉄法が輸入されるまでは、日本の鉄産業の指導的役割を果たしていました。
島根県飯石郡吉田村菅谷には、現在でも国が保存する日本唯一の高殿式の「たたら」や、たたら師の子孫が生存する居住空間が存在しています。国はこれらを世界でも類をみない優れた和鋼、和鉄を生産した施設として、また日本古代からの伝統的な技術の保存、あるいは、祖先たちが大自然の中で育んできた製鉄に対する知識を保有する地域として、重要民俗資料に指定しています。
一方、日本鉄鋼協会は、昭和44年、この菅谷地区において、当時、僅かに生存いていたたたら師を中心に、東京大学生産技術研究所など学術関係者が参加し、たたら製鉄法を復原しました。また同時に科学的な記録をおこなっています。
吉田村は、現在このような有形・無形の文化遺産を保護継承するために、昭和61年「鉄の歴史村」を宣言しました。鉄の歴史村の主たる事業は、鉄にかかわる史資料をいかに正しく蒐集保存し、正しく公開していくかにありますが、吉田村では、すでにイギリス・アイアンブリッジ・ゴージ・ミュージアム財団とも交流し、数々の個性的な「鉄の博物館」を創設してきました。また、先人が遺した鉄文化の歴史を、未来に対する知恵の源として発見し捉えるために、あるいは、その理解を深めることのできる人材を育てるための研修活動として、シンポジウム「人間と鉄」の開催など、国際的な学術交流もふくめて多彩におこなってきました。地域における一市町村のこのような活動は、歴史文化の活性化のための新しい地域づくりのパイロットとして、昭和62年度、国土庁長官賞を受賞しました。
「鉄の歴史村」は、さらに昭和63年度計画として、出雲和鋼の質を調査維持するための基礎研究施設、あるいは、その応用生産開発施設を建設し、伝統と先端技術の基礎に立つ現代のたたら師の養成を考えています。また、教育展示公開施設、学術交流研修施設、図書館、宿泊・サービス施設などをレイアウトした「オープン・エアー・ミュージアム」の建設を企画しています。
人口の都市集中化、工業化社会、情報化社会の成立など、変化の急速な現代の中で、文化遺産や伝統文化を保有する地域が、新たな歴史村をめざして歩みを進めるためには、昭和62年、京都で開催された「世界歴史都市会議」でも明らかにしているように、「保存と開発」という相対するさまざまな問題点があります。
私たちは、いま「鉄の歴史村」が、21世紀へ向けてどう対応すべきか、また、市民参加によってどう克服すべきか、一つ一つの問題解決のために真剣に考えてきました。
「鉄の歴史村」は、より充実した活動を行うために、また、より高度で機能的な運営を計るために、別項の事業計画にもとづく「鉄の歴史村地域振興事業団」の設立を考えました。この財団が築こうとしている日本の鉄の歴史文化の集大成は、全国的にストックされている地域社会の鉄生産に関するさまざまな歴史情報の活性化を促すばかりでなく、国際的にも日本の基幹産業の文化的背景として、その理解を深めるために大きく役立つものと確信いたしております。
また、さらに第4次全国総合計画では「多極分散型の開発計画」が打ちだされていますが、この「鉄の歴史村地域振興事業団」の設立は、地域社会が未来に対して、文化の面でも、経済的にも、より豊かになるためのパイロット事業としての使命を果し得るものと考えます。
関係各位におかれましては、この財団設立の趣旨を充分ご理解いただき、積極的にご参加ご指導下さいますようお願い申し上げます。
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